金曜日, 30 of 7月 of 2010

徳島県は四国の南東部に位置する県で

東は紀伊水道、南東は太平洋に面し、西は四国山地を隔てて愛媛県と高知県に、北は讃岐山脈を境にして香川県に接する。

県庁所在地は徳島市。2005年の国勢調査による人口は80万9950人で、1995年の国勢調査時から約22000人の減少となっている。

面積は4145、69平方キロメートルで、四国の総面積の約22%を占める。

徳島県が誕生した1880年の県人口は63万5012人で、88年には約68万に増加したが、70万人台に達したのは1902年である。

この間の人口停滞はコレラ、流行性感冒による死亡者や他府県への転出者が多かったことによる。

大正から昭和にかけてはほぼ順調な人口増加をみたが、1934年の約77万人をピークにしだいに男子人口が減少した。


阿波国はかつて日本の地方行政区分だった国の一つで

南海道に位置する。現在の徳島県にあたる。

古代、現在の徳島県の北の地域は粟の生産地だったために粟国、南の地域は長国と呼ばれていたが、大化の改新の後に粟国に統一された。

和銅6年、元明天皇の命により地名を二字で表記するため粟は阿波に変更された。

中世、鎌倉時代においては鎌倉幕府により佐々木氏、小笠原氏が守護に任ぜられた。

室町時代には三管領家の一つである細川氏の支配するところとなるが、戦国時代の到来により小笠原氏の庶流である三好氏がこれに代わることになった。

三好氏は京都にも進出し、一時は中央の政治にも関与、征夷大将軍さえも傀儡とするなど、権勢を誇ることとなる。

その後、織田信長が三好義継を滅ぼすと、三好一族である三好長治が阿波を統治することとなる。
しかし、長治は阿波全土の国人や領民に対して法華宗を強要し、支持を失ってしまう。

これを良い機会と見た土佐国の長宗我部氏の侵攻にあい、1584年、阿波は長宗我部元親の支配下となる。

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